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音樂界發生變化?「民歌」人氣再昇的原因

音樂界發生變化?「民歌」人氣再昇的原因

◎民歌(folk song)本來指的是民謠,但目前的意思變廣了。在1940年代的美國,演奏大家耳熟能詳的民謠歌手紛紛興起,不久,原創的歌曲也開始出現。之後以公民人權運動、種族、反戰為元素的民歌開始出現,日本也於其後仿效。

◎根據坂崎幸之助所言,「剛開始是翻譯過來或是直接用英文唱。但之後學生就開始用日文自己寫自己唱」,這就是1960年代的學生運動。1970年代,日本民歌界吉田拓郎人氣登場。之後開始以民歌吉他搭配豐沛的情感,由社會問題的歌詞內容漸漸走向抒發個人心情或愛情。目前在日本一提起「民歌」,大概就是想起那時候的歌曲,因此所謂的民歌粉絲大多是在70~80年代度過青春時期,現在五六十歲的人。

◎然而在下町的民歌音樂祭中,最受到熱烈聲援的是目前35歲的小笠原愛。當天表演的曲調相當具有能量,旋律也偏快,這讓人不禁思考:這也是民歌嗎?小笠原愛表示:「我唱的和大家印象中的民歌不同,我唱的是所謂「新東京民歌」。我雖然不是民歌世代,但我非常喜歡民歌」。作為民歌界新人,她得到相當多同世代粉絲的支持。

◎主導2013年野外音樂祭《JAPAN FOLK FESTIVAL》的代代木原茂以「日常」解釋民歌,他表示:「在生活中,大家明明都辛苦地每天努力著,我不喜歡那種隱藏辛苦,卻說『人生,很順利啊』。其實,活著就是會有辛苦,會有傷悲,所以我不想忽視這些,希望用歌聲把這些人生真相表現出來。所以若是要我定義的話,我覺得這種「日常的人生」就是民歌的精華。」

◎「我也曾被前輩說:你真的理解民歌嗎?但是,我們這一輩民歌和以前不同,因為那才是我們的日常生活。我相信,在1970年代的民歌手也在唱他們的『日常』。那個時代的日常就是政治或反戰之類的話題。我們也在唱2015年的日常生活。比起世界大事,我們更應表現的是日常我們的煩惱及矛盾,三十年後回想起來,才能知道這就是那個時代的民歌」

◎所謂民歌餐廳就是一些上班族下班後,拿起店裡的吉他自由演奏,彈彈唱唱的一種飲食店。民歌餐廳的代表「落陽」新橋店店長田邊芳子表示,14年前的落陽本店是日本第一家民歌餐廳,目前在日本已有超過一百家的分店。目前來民歌餐廳彈唱的主要分為往年的民歌粉絲及三十歲以下的新世代,共通點都是「希望將自己的想法傳達給大家知道」。

下町民歌音樂祭的製作人,同時也是樂團的吉他兼歌手的丸伸認為民歌就是「將想法更簡單的傳達出去,連接人與人之間的音樂」。隨著時代,熱門曲調或想傳遞的訊息的確不斷在變化,但是民歌的功能「傳達想法」、「連結人的情感」是不會變的。像民歌這種音樂不管在哪個時代都會被好好珍藏。

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今、再燃する「フォーク」ブームの真相を探る(写真は、「JAPAN FOLK FESTIVAL」の様子)

フォークソングと聞いて、ひらめく歌はなんだろう。フォークシンガーと聞いて、思い出すのは誰だろう。吉田拓郎、南こうせつ、なごり雪、そう答えたあなたは、50代?長渕剛なら40代?30代以下にとっては過去の音楽……。

ひょっとしてこれらは思い込みかもしれない。フォークの担い手やファンが、今、大きく変化している。ちまたで起きている、静かに熱いフォークブームを探った。

今年9月、台東区の隅田川沿いに設けられた特設ステージで「下町フォーク・フェスティバル」が開催された。プロ、アマ合わせて15組の「フォークシンガー」たちが集い、それぞれの「フォークソング」を熱く歌い上げた。それぞれ、と表現したのは、個々の楽曲が表現する世界観やメロディライン、詩のタッチがあまりに幅広く、一口に「フォーク」と言っていいのか迷うところがあったからだ。

「フォークソング」とは、もともと「民謡」を指す言葉だったが、そこから派生して、今では広い意味を持つようになった。1940年代のアメリカで、民衆の間で昔から親しまれていた民謡を演奏するプロミュージシャンの動きが台頭し、ほどなく、オリジナル曲も歌われるようになった。すると、当時の社会課題であった公民権運動や人種差別、戦争をなくそうというメッセージが込められるようになり、それを日本がまねた。

THE ALFEEの坂崎幸之助さんがTOKYO FMで語ったところによると「最初は訳して歌ったり、英語のまま歌ったりしてたんだけど、自分のメッセージを伝えていこうということで、日本語で自分たちの言葉で歌うようになった」という。それが1960年代の学生運動のころだ。

1970年代になると、日本のフォーク界に吉田拓郎という大ヒットメーカーが登場する。すると、フォークギターで情感たっぷりに歌い上げる内容も、社会的なものから、個人の心情や風景、愛などへと変わっていった。今、日本で「フォーク」と言っていちばんに思い起こすのは、この頃の歌い手や曲調だろう。したがって、「いわゆる」フォークファンは、1970~80年代に青春を過ごした、今の50~60代が多い。

しかし、下町フォーク・フェスティバルで、最も熱い声援を浴びていたのは、35歳のプロフォークシンガー、おがさわらあいさんだった。この日の曲調はアップテンポで、エネルギッシュ。これがフォークなのか、と度肝を抜かれた。

「私が歌っているのは、みなさんがイメージするような、いわゆる『フォーク』とは違うので、新東京フォークソングって呼んでいます。『フォーク世代』じゃないですが、フォークが大好き」と話すあいさんは、フォーク界の新風として同世代からも支持が熱い。

新風だけあって、その世界観は「いわゆる」フォークのイメージにとどまらない。それでも彼女は、自分の音楽は「フォーク」なのだ、とのこだわりがある。

「つらいことがある中、なんとか頑張って毎日を生きているのに、つらさを隠して『まぁ、人生うまくいくよ』みたいなポップなノリが、私は好きじゃないんです。実際、生きていくには、つらさとか悲しみからは離れられないですよね。だから、フタをするんじゃなくて、それも含めて歌っていく。生きてくことの大変さは認めつつ、でもいいことだと思うよっていうのを表現したい。あえて、定義するとしたら、その『人間らしさ』がフォークだと思います。ジャンル名はわかりやすいように、誰かがつけただけ」

2013年から野外フェス「JAPAN FOLK FESTIVAL」を主宰する代々木原シゲルさん(31歳)は、フォークは「日常」という意味で使っていると話してくれた。

「先輩方には、昔と違う、本当のフォークがわかっているのか、政治や反戦のメッセージをみんなで歌うから意味があるんじゃないか、と言われることもあります。でも、僕らのフォークはそうじゃありません。なぜかというと、それが僕らの『日常』だからです。きっと、1970年代のころも、そのときの『日常』を歌にしていたと思うんです。それがその時代は、政治とか反戦だった。僕たちも2015年の『日常』を歌にしているだけ。世の中的に大きなことよりも、それぞれの日常の悩みのほうが、今は歌うべきことなんじゃないかと思っています。それが30年後に思い出したとき、あの時代のフォークと呼ばれるものになるのかな」

手弁当で始まった、代々木原さんのイベントは、3年目の今年、100組の若手アーティストたちが参加し、全国から1000人以上の観客が集まった。

フォーク界の担い手は広がり、そこには確実に変化があった。

一方で、「いわゆる」フォーク世代も負けてはいない。50~60代を中心とした往年のフォークファンは、今、「フォーク酒場」に集い、夜な夜な、あの頃の名曲を歌っている。

フォーク酒場とは、会社帰りに手ぶらでふらりと立ち寄って、店に常設しているギターなどを、客が自由に演奏したり、歌ったりできる飲み屋のことだ。フォーク酒場の名店、「落陽」新橋店の店主・田辺芳子さんによると、14年前、荻窪に店を開いた「落陽」本店が日本初のフォーク酒場で、今では日本に100軒以上存在するという。

「ここに来れば、『あの頃』に戻れる。家ではかみさんにガミガミ言われたりするけど、ここには青春がある」。そう話す40代のがんちゃん(男性)は、常連の中では最年少クラス。この日は「ファイト」(中島みゆき)や「浅草キッド」(ビートたけし)などを熱唱し、店で知り合ったフォーク仲間たちが惜しみない拍手を送っていた。

今、フォークの担い手は、往年のファンと、30代以下のニューウエーブに二分化している。しかし、どちらも「自分の思いを伝えたい」という共通の強い思いを感じた。

あらためて今、「フォーク」とはいったい何だろう。

前出の下町フォーク・フェスティバルのプロデューサーであり、バンド「ポカスカジャン」のギター兼ボーカルでもあるタマ伸也さんは、「思いを伝えやすく、人をつなぐ音楽」。それが、フォークソングだと話す。

時代と共に、ヒットする曲調や伝えたいメッセージは確かに変化している。しかしながら、「思い」を伝え、人を「つなぐ」という、「フォーク」が本来持つ役割は変わっていないように感じた。人と人とのリアルなコミュニケーションが希薄になっている今の時代だからこそ、人と人をつなぐ、「フォーク」のような音楽が、どの世代でも大切にされているのかもしれない。

Toyokeizai

http://toyokeizai.net/articles/-/93017